第29回 U-20 プロコンワークショップ に行ってきた
職場の先輩から「おもしろそうなイベントがあるから行ってみれば」と紹介されたU-20ワークショップ。
自分自身は子供の頃からプログラマーに憧れつつも、プログラマーになれないまま今に至るU-40なプログラマー挫折組な訳だが、今でもプログラミングは好きだし、プログラミングをしながら余生を送りたいと思っているくらいだ。
ワークショップで、どこでもいっしょの南治さんや、Rubyのまつもとゆきひろさんの講演を聞いていると、プログラマーを夢見ていた在りし日の自分の気持ちがよみがえってきた。
ブロック崩し、スペースインベーダーに始まり、すがやみつるのこんにちはマイコンを片手にマイコンショップに入り浸り、日高徹(新日本プログラミング総帥)のマシン語本でハンドアセンブルを始めてみたものの、画面に白い豆腐を表示したあたりで挫折し、その後もQuick Basicで挫折、Turbo C++で挫折、Macのハイパーカード職人を目指してまた挫折。挫折挫折の繰り返し。
実際、南治さんやまつもとさんの講演内容はU-20向けだったのだったのだが、リアルU-40な自分の中に、U-20な頃の自分がむくむくと目覚めるのを感じた。
プログラマーな人の話を聞いてみると、自分の挫折はPCの選択に問題あったような気がする。
自分の使ったPCは以下の通り。
PC-6001 -> PC-8801mk2MR -> PC-9801FA -> ColorClassic2 -> COMPAQ -> 自作
PC-6001の頃はまだそうでもなかったのだが、88時代にはT&Eのハイドライド、日本ファルコムのザナドゥ、98時代にはシステムソフトの大戦略シリーズ、光栄の信長の野望シリーズの全盛期で、わざわざ自分でプログラミングしなくてもゲームに対する欲求を満たすことができた。
同年代でプログラマーになっている人は、X1 -> X68000 または MSX -> X68000 と、最終的にX68000に行き着いたという人が多いように思う。X68000でもゲームは出ていたが、その多くはアクションゲームで、88、98と比べるとゲームの数はずっと少なかった。供給されるゲームが少なければ自分で作るしかない。
まあ、もしX68000を選択してたとしても結局挫折してたんだろうなあ...orz
さ〜て、講演の中で南治さんが紹介してくれたProcessingで遊んでみよう。